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名画の謎(旧約・新約聖書編)

中野京子さんの「名画の謎」(旧約・新約聖書編)は、歴史に名の残る天才画家たちが生んだ宗教名画を見ながら、聖書の背景や登場する人物達について解説している御本です。
中野さんの著書の常で、難しい内容もくだけた文体でわかりやすく書かれているのが特徴で、初心者にも非常に読みやすいのでした。難しい内容をさらに小難しい文体でしんねりむっつり書かれた日には、眉間にしわを寄せてしばらくは頑張りますけど、そのうちなんだか眠くなっちゃいますものね(←ささめの場合)

キリスト教、とききますと、まず相反するイメージが浮かんでまいります。

ひとつは、平等、博愛、などのプラスなイメージ。
もうひとつは、中世ヨーロッパの魔女狩りに代表されるマイナスなイメージ。

本来、宗教は純粋に人の心の救いとなるものなのだろうな…と無信教ながらに思うのですが、そこは一神教の厳しさで、ひとたび異端、悪、だと決めつけられたとたんに己の社会的地位はもちろん、生命、存在そのものまで否定されてしまうというのは、いやはやすさまじい。
小さな島国にひしめく八百万の神々は、それぞれ祟ったり祟らなかったり気まぐれで、神様は神様の論理で動いているから主に人間の善悪とは関係が無い、というスタンスの日本からすると非常に窮屈で逃げ場がないように思われます。
そんな全か無かの中をかいくぐって生きていくのはさぞしんどいでしょうねぇ…

そして、非常に混み入ってややこしい。
旧約と新約ってなにが違うの…ミッション系学校に通っていた割にさっぱりわかってないささめでございました。(チャペルアワーとかで毎日45分間も礼拝の時間があったというのに!)
プロテスタントとカトリックの違いもよくわからない…なんだかキラキラ華やかな方がカトリックでしょ、プロテスタントは、ルターさんが「免罪符とかな、そんなんあかんねん!キィ!」って怒って作った方でしょ、というぐらい。

しかし、この御本を読んでみて、少なくとも旧約と新約の違いはわかりました…イエス様が出てきてからが新約なのですね。うんうん。
そしてイエス登場以前の旧約の世界がかなり血なまぐさくって、博愛どころかえこひいきが堂々とまかりとおる世界であったということ。

弟の捧げた羊の生贄がお気に召して、弟の方をより深く愛でた神様に、兄は嫉妬のあまりこの弟を殺してしまう。有名なカインとアベルの物語。

絵1
すみません、御本を撮ったらフラッシュ自動設定のままで、カインの股間が光っちゃった。

己の罪の重さに狂乱し、殺害現場を逃げ出すカインの表情!血のように赤い太陽と真っ黒な雲が不気味に彼を追いかけてゆきます。
人はたとえつらい状況にあっても「己自身は悪くない」と確信できれば、有る程度は心安く、そして耐えることもできるものですが、その土台となる自分の中にこそ自分を攻撃する刃物があるときには、どこまで逃げても刃物はずっとついてきて、外からは見えぬ柔らかな内部を切り刻んでしまうものなのでしょう。

このあともえこひいきは延々と続きます。
ヤコブはユダヤの族長の地位を、人の良い磊落な兄エサウをだますことでまんまと手に入れます。それは、母が弟のヤコブをより愛したため。最終的に兄のエサウは、あっさりとヤコブを許して接吻までしてくれるのですが…いやあ、なんでしょ。すっきりせんわぁ。

イエス・キリストの誕生後の新約の世界は、母マリアが処女懐胎したこと、義父は大工さんでイエス自身は30すぎてから宗教家になったこと、最終的に磔刑に処せられて三日後に復活したことなどは、よく語られる物語ですよね。

ささめは十二使徒の殉教のさまがなかなかすさまじくって「うえっ」となりました。黙示録を書いたヨハネさんなんて、油の釜で素揚げにされたらしいですよ(でも死ななかった、というのもびっくりポイントですが;)
あとバルトロマイさんは生きたまま生皮を剥がれて亡くなったのだそうです。これは、梅田のMARZEN&ジュンク堂の芸術書コーナーにて、生皮をはいでる最中の絵がのっている8000円もするぶっとい御本をチラ見してまいりました。ナイフでちょ、ちょ、と傷を入れて、ほんとに綺麗に端っこからペローンと剥いてました…

そしてこの黙示録がさらにすさまじいのでした。
イエスさまは手に七つの封印のある巻き物をもって座っていらっしゃる。
ある日、その4つまでの封印が解けました…が、生まれ出たのは4人の恐ろしい騎士。飢餓、疫病、戦争、死、の4人です。
絵2
人間はなすすべもなく踏みしだかれ、どんどん死んでいきます。
神様はいったい最終的に人間をどうしたいの、と信者ならずとも聞きたくなる阿鼻叫喚ぶり。

ついに天使はラッパを吹きならし、この世の終わりを告げます。最後の審判です。
絵3

真ん中のむきむきマッチョな男性がイエス・キリストです。優しさとは無縁の厳しいお顔、おまえなんざ地獄へ行け!と嫌がる人間を突き落とし、落下中の人間を天使がわらわらとよってたかって遠慮会釈なく殴りつける、もうわけがわかりません。
この世の終わりが来た時、善悪の苛烈な審判を受ける。…とここまではいいのですけれど、オチがねぇ。
審判の際、キリスト教徒だけは救われる…んですってさ。なんかとっても尻すぼみな感じ。
「あんなに疫病やら戦争やらで大騒ぎだったこの世の終わりは、そんなちまっとした結論を導き出すためだったんです?なぁんだ」と、オチが命の関西人としてはちょっとばかり不満です。

博愛を説くのであれば、価値基準や考え方の違う人間も、その存在を尊重し、認めようという気にはならんのかしら。
そこまで白か黒かで割り切れることばっかりじゃないでしょ、と言いたくもなりますけれど、そうすると宗教としては成り立たないのかもしれませんね。

しかし、がちがちの宗教の枠にはめられながらも、人間である画家さんたちは、それぞれに自分の考えや主張をさりげなく入れているところに、なんだかほっと心が和む心地がいたしました。
たとえばダ・ヴィンチは、受胎告知のマリア様の絵に、天使がささげる純潔の印・百合の花の描写にあえて「めしべ」とおしべ」を描き入れました。
それは、処女受胎なんて現実にはありっこないでしょ、という彼なりのささやかな抵抗の印とも読みとることができるんだそうです。

またヴェチェッリオの描く「マグダラのマリア」はすっぽんぽんの美女で、波打つ髪の毛でつつましやかに裸体を隠そうとはしているものの肝心の乳房は丸出し状態、首筋の滑らかな肌の白さは色っぽく強調され、要するに単に男の目を楽しませる「裸の美人」が描きたかっただけではないか、ともとれるとか。

したたかな人間性を感じさせるエピソードを読むにつけ、天の神様にお願いをしたくなります。

人間って馬鹿で愚かでどうしようもないけど、アホゆえに割と愛すべき生き物ですよ。
だから4人の騎士でめっちゃめちゃな黙示録世界を呼ぶのをやめてもらえませんか。
最後の審判はみんな天国でいいじゃないですか。

みんなそれなりに頑張って生きているんだもの、死んだあとぐらい、すっぽんぽんの美女を眺めて楽しんだっていいじゃないですか。できればささめは、すっぽんぽん、もしくは短パン姿の美男を眺めながらあの世でのんびり暮らしたいです。
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2013-01-27(Sun)
 

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